自己紹介わすれてました

自己紹介わすれてました

わたしについて

わたしは2022年で29歳になる、既婚女性です

宗教2世(&3世)です

一種の虐待サバイバー(ネグレクトサバイバー)です
(殴る・蹴るではありません、食事…はまぁそこそこに、風雨をしのげる家でほとんと不自由のない生活を送りましたが、何があったか詳細は後述します)

不安障害とうつ病を持っています

仕事はエンジニアをしています
雇用形態は派遣社員ですが、ここのところ、
仕事を休むかずっとずっとものすごく、悩んでいます

苦手なことは家族や親戚に会うこと、悪口や心無い言葉を向けられること

好きなことは友達に会うこと、本を読むこと、音楽を聴くこと

生きたいと死にたいの間でずっと息をしている

いつから、というのははっきり覚えていませんが
中学生になった頃から
漠然と、死にたいと考えるようになりました。

中学生の頃、東京事変椎名林檎に出会い、
うまく説明できませんが、彼女の思想に救われた思いがしました。

又聞きの話ですので話半分に読んでいただきたいのですが、
林檎女史は、先天性の病気で、生まれてすぐ死んでしまう可能性があったそうです。しかし医療の力で彼女は命を繋ぎ止め、

自分は人に救ってもらった、という思いを常に持ちながら生きておられたそうです。

しかし、持病の関係もあり、高校生の頃、
幼い頃から続けていたバレエを続けられなくなり、落ち込んでいたそうです。

ちょうどその頃、高校生の女子が自殺をしたというニュースを見たそうで、自分と同じ年頃、まだ若くて未来がたくさんあるのに、なぜ?どうして?と、やりきれない気持ちがあり、

私が音楽で救う、と思い、本格的にも音楽活動を始められたみたいです。

ものすごい行動力を持った彼女の作品にふれ、
わたしが漠然と、

生きなきゃ

と思ったのはおそらく偶然ではないと思います。

宗教について

もう時代が違うので同じ教団はありません
具体的な名前は伏せます
岡田茂吉と言う方が教祖であった、新興宗教の、わたしは2世・3世です
わたしはいまは活動していません。母と父は活動しています

虐待サバイバー(ネグレクトサバイバー)について

母はわたしを生む前からうつ病でした
うつ病の人が子育てするというのは、並大抵の難易度ではありません
母は生まれたばかりでたった3kgもない自分の赤ちゃんを、自分の手で抱っこすることすらままならなかったそうです

わたしがまだ赤ん坊の頃、阪神大震災が起きました
多くの人が犠牲になり、震災による孤児もたくさんふえました

母は、その状況をみて、どんなに自分がつらくても、この子が大人になって自立するようになるまではなんとしてもこの手から離さない、と思ったそうです

さて、時は進み、わたしは赤ちゃんではなくなりました
至って普通のどこにでもいる女の子でした

しかし、病気のとき、私は普通ではありませんでした

死ねない薬は薬ではないと誰かが言ったそうですが、
わたしたちの宗教では、一切の薬を摂取したり、病院にかかることは悪とされ、浄霊という手をかざす行為で治るとされていました

一切の薬を摂取できなかった私は、どんなに下痢になったり嘔吐しても、生理痛がとてもひどくても、虫歯が痛んでも、
とにかく薬を飲まずに耐え、高校生になりました

高校に入り、思えばわたしはもうすでに精神を病んでいました

いろんな無理が祟り、最終的に肺炎を患ったわたしは、
初めてわたしの体が、今尽きようとしていると感じました

そのときは近所の内科の病院に行きました
内科の先生は、なぜもっと早く連れてこなかったのか?と母を問い詰めていました

診察して、点滴をされ、薬をもらいました

わたしはいろいろとショックを受けていましたが、未成年であり、親の言うことは絶対でした

親の言うとおりにすればいいのだとずっとずっと思っていました

家に帰ってすぐ、母は、この薬はもらったけど、捨ててもいいね?と聞かれて、うん、と答えました

薬は母に捨てられてしまい、飲めませんでした

それがわたしを楽にする薬だと知っていたのに、わたしはそれに手を伸ばすことができませんでした

この頃から、もう宗教の教えを守ろうとは思わなくなりました

からだはうごかず、どこにも行けず、両親はただ上から見下ろして手をかざしていました

そんな日々が永遠に続いたように思えました
きっと1ヶ月位経った頃でしょうか

いまの旦那は高校の同級生で、そのとき私の彼氏でした

たかが肺炎のはずが、いくら学校を休んでも治らないわたしの事を、彼は気にしていました。
彼の母もわたしのことを気にしていました。

肺炎でずっと休んでいるし入院しているわけでもないようだが、不思議だねと親子で話していたそうです

彼の母は、お菓子でも持って様子を見に行ったら?あ、でも食べられへんか…などと、心配してくれたのだそうです

彼は、わたしのところに来てくれました
わたしのところに来てくれた彼は神様に見えました

布団から起き上がることもできない私のそばに彼はずっと寄り添ってくれていました

今後、人生で一番幸せな瞬間が更新されないとしたらその時、わたしはもう死んでいたら良かったと思います